AI誤送信の経緯と、AI自動化で学んだこと

AI誤送信の経緯と、AI自動化で学んだこと

先日、AIを活用した業務自動化テスト中に、ひらつか葬祭公式LINEフォロワーの皆さまへ誤送信をしてしまいました。

突然の通知により、ご心配やご迷惑をおかけしましたこと、改めてお詫び申し上げます。

今回の件は、自分の中でも非常に大きな反省となりました。

同時に、AIを業務へ取り入れる難しさと責任について、強く考えさせられる出来事でもありました。


今回取り組んでいたこと

今回、実装しようとしていたのは「ご供花の自動発注」です。

オンライン訃報(@葬儀)を通してご供花申込をいただくと、システムから自動メールが届きます。

そのメールを基に、

  • 必要情報を抽出し、提携生花店へ発注する
  • 請求書作成や入金処理登録を行う
  • 進行状況を通知する

といった流れを、AI(Claude)を活用して自動化しようとしていました。

これまで手作業で行っていた業務を効率化できれば、その分、ご家族様との時間や現場対応へより集中できるのではないか。

そのような思いから始めた取り組みでした。


発生したこと

テスト発注を実行した結果、ご供花発注までは正常に動作しました。

しかし途中でエラーが発生し、通知設定の不備により、ひらつか葬祭公式LINEフォロワーの皆さまへ誤送信が行われてしまいました。

今回、自分は「通知を送る」という程度の感覚で設定していました。

しかし実際には、「どこへ通知するのか」を明確に限定できておらず、結果として意図しない一斉送信という形になってしまいました。

本来であれば、

  • 送信先を明確に限定する
  • テスト環境と本番環境を分ける
  • 実行前の確認手順を設ける
  • 誤送信防止の仕組みを入れる

など、もっと慎重な確認が必要でした。

完全に自分の認識不足と確認不足だったと反省しています。


不幸中の幸いだったこと

今振り返ると、今回の通知先が「公式LINEフォロワー」の皆さまだったことは、不幸中の幸いだったのかもしれません。

ひらつか葬祭公式LINEのフォロワー様は、実際に葬儀をお手伝いさせていただいた方々が中心です。

だからこそ、突然の通知にも温かく反応してくださったのだと思います。

一方で、もしこれが、

  • 現在ご相談中の方々
  • 仕事上やり取りのある方々
  • 各関係先様

などへ送信されていたら、また全く違う事態になっていた可能性もあります。

今回の件を通して、AIは便利である一方、曖昧な指示をこちらの意図通りに察してくれるものではないと痛感しました。

使う側が曖昧なまま進めてしまえば、その曖昧さも含めて実行されてしまう。

その怖さを、今回かなり現実的に体感しました。


指摘を受けて考えたこと

今回の件について、妻からも厳しく指摘を受けました。

それは単なる注意ではなく、「ひらつか葬祭」という屋号を背負っている以上、軽く見られるようなことをしてはいけない、という危機感からの言葉でした。

個人の失敗として済ませるのではなく、屋号を掲げて仕事をしている以上、その発信や対応には責任が伴います。

自分自身も今回の件で、AIを使うことそのものよりも、「どう責任を持って運用するか」のほうが遥かに大切なのだと痛感しました。


今後について

今回の件は、本当に反省すべき出来事でした。

ただ同時に、AIや自動化によって、これまで手作業で行っていた業務の一部を効率化できる可能性も感じています。

大切なのは、便利さだけに目を向けるのではなく、その裏側にあるリスクを理解し、慎重に扱うことだと思います。

今後、業務改善にAIを活用する場合には、

  • 送信先や処理内容を明確に限定する
  • 本番環境での一斉実行を避ける
  • 必ず人の確認を挟む
  • 小さな範囲でテストを重ねる

といった基本を徹底していきます。

今回の件を真摯に反省し、今後はより慎重に、より責任ある形で業務改善へ活かしてまいります。

改めまして、このたびの誤送信によりご心配とご迷惑をおかけしましたこと、深くお詫び申し上げます。

また、温かく受け止めてくださった皆さま、本当にありがとうございました。

葬儀屋になったのは、ハローワークがきっかけでした。

葬儀屋になったのは、
ハローワークがきっかけでした。

19歳、東京へ

19歳のとき、
進路も決まらないまま東京に出てきました。

当時19歳は未成年。
一人暮らしを
するにも親の保証が必要な年齢でした。

何かしたくて、
でも何をしていいかわからなくて。

夢と呼ぶには大げさなのですが、
楽器を弾いて食っていけたら……、

そんな気持ちが、なくはなかった。

今思えば、無理に決まっている。
そもそも歌は苦手だし、
小学校では音楽授業すら嫌いだった。

でもあれが、
若い頃にだれもが一度はやらかす、
盛大なる勘違いというやつだった
のかもしれない。

叶わなかったわけでもなく、
諦めたわけでもなく……
       その話はまたいつか。

未成年の自分は
東京で一人暮らしをするために、
まず仕事に就く必要がありました。

仕事を探すにも当てがなく、
ハローワークに入り浸っては、
資格条件として
普通免許だけ、給料25万円以上、
その条件を求め、
ひたすらにページをめくり続けました。
※当時は紙ベースで膨大な資料の量でした。

その中から
長年勤める葬儀社に出会うのでした。
そこが今につながる、始まりでした。

当時は
特別な志があったわけではありません。
生活するために、
仕事を選んでいられない。
兎に角、就職。

それが正直なところでした。

「人の役に立ちたい」とか、
「命と向き合いたい」とか、
そういう言葉は、
正直あとからついてきたものでした。

26年間、
現場に立ち続けた


それから26年間、
一つの老舗葬儀社で
ひたすら現場に立ち続けました。

当時の葬儀業界は、
今とはまるで違う世界でした。

まだインターネット
などという環境は世の中にはなく、
葬儀コーディネーターなんて言葉もなく、
女性担当者なんてのは、ほぼ皆無。

年齢を重ねた男性だけが活躍できる場でした。

入社当時、会社オーナーに
はっきり言われたことがあります。
「25歳までは
1人で葬儀担当することはないから。」

今思えば、それが業界の常識でした。

来る日も来る日も、
現場では葬儀の設営と撤収、
事務所に戻れば、道具手入れと在庫管理。
当時、今のような花祭壇はまだなく
白木祭壇と呼ばれる神社をそのまま
持ち込んだような大道具で
柱、屋根、輿など1点1点が重くかさばる。

毎回が引っ越しのような肉体労働で、
“スーツを着た、土方(どかた)” とは
実によく言ったものだ。

道具運び専門の自分は、早く
葬儀の担当がしたいと
何度も思いました。
しかし、それは全く叶いませんでした。

もしかして
早く老けることが出来たなら
葬儀担当を任せてもらえるかな?

あと何年くらい、
設営撤収と道具管理をやればいいんだよ。
なんて思いあがったことも
考えてしまったこともありました。

それでも辞めずに続けられたのは、
”黙って耐えてりゃ、いつか報われる”

今となっては絶滅危惧種な
昭和生まれの根拠なき確信。

良くも悪くも、それだけが
自分の支えだったのかもしれません。

それと、
当時のオーナーや
先輩方々にも恵まれていたとも思います。
いろんなことがありましたが
感謝の思いは決して忘れません。

あと、
小学生のころから新聞配達を行うなど、
もともと働くことが好きというか、
働かざる者喰うべからず、 という
完全昭和教育の最先端ともいえる
両親の教育もあってのことと
こころから感謝しています。

本当に自分もある程度の年を重ね、
家庭を持ち、 ようやく
少しだけ わかってきたのかな。
     ——この話、もっと話したい

仏教式のお葬式、
神道式の神葬祭、
カトリック教会の葬儀ミサ、
近年では無宗教式のお別れ会

家族だけの小さなお別れから、
大勢が集まる大規模葬儀、社葬まで。

2000年代、
2010年代、
そして今の2020年代と
実に多種多様の様々な形式の
数えきれないお別れに関わってきました。

続けられた理由を聞かれると、
うまく答えられません。

ただ、現場に立つたびに
「よりうまくできる方法はないか?」と
考えてきたことだけは確かです。

カトリック教会との出会い

ある時期から、
カトリック教会の信徒の方々に
声をかけていただく機会が増えました。

最初はカトリック高輪教会でした。
当時勤めていた職場は五反田にあり、
高輪教会とも比較的近い場所でした。

高輪教会信徒で有志の方が、
信頼し任せられる葬儀社を探し始めた
ことが 全ての始まりの出会いでした。

それから十数年後、
カトリック田園調布教会からも
お声がけいただきました。

自分にとってカトリック教会は
数多くのお別れをともにしてきた場所です。

”高輪” と ”田園調布”
東京に住んでいない方でも
名前を聞いたことがあるような、
品格に溢れ由緒ある土地柄エリアです。

家が大きく、美しく、
洗練されていて、
テレビや映画でしか
みたことないような環境、

岐阜県高山市の 田舎育ちの
自分には本当に驚きの連続でした。
打合せ時に出てくるお菓子ひとつ取っても、
とても美味しそうなのですが
自分はいつも持ち帰るようにしてました。
なぜなら 上品に食べる自信が なかったから。


でも、
それ以上に印象に残っているのは、
人の温かさと面倒見の良さでした。

この2つの教会で
私と関わりのあった方々なくして、
今の自分はなかったと思っています。
本当に感謝しかありません。

お手伝いを始めて数年が経つと、
不思議なことに、
自分では面識のない方から
「平塚さんですよね?」と 名前と顔を
知っていただいていることが、
増えてきました。普段、葬儀の時には
ネームプレートを付けているのですが、
ネームプレートをつけてない時でも
何度もお声掛けいただきました。

きっと紹介が紹介を呼んで、
気づけば名前だけが先に広まったの
だろうと思います。

2020年からは
カトリック浅草教会の
お手伝いも させていただいています。

ご縁は今も続き、
そして今も広がりつづけていると、
そう信じています。

選ばれることの理由はわかりません。

評価は自分でするものではない
と思っています。ただ、呼んでいただける
限り、精一杯やるだけです。

独立、そしてひらつか葬祭へ

2025年2月、
長年お世話になった会社を辞めて独立し、
「ひらつか葬祭」を始めました。

屋号を決めるとき、
おしゃれな横文字の名前も考えました。
でも結局、シンプルな答えに行き着きました。

せっかく覚えて
いただいた名前を、最大限活かしたい。
自分を知ってくださって
いる方々に、迷わず見つけてもらいたい。
分かりやすさに重点を置いた結果が、
「ひらつか葬祭」でした。

我ながら、
なんのひねりもない安直な名前だ
と思っています。
でも、お客様にとって
分かりやすいことが一番だと思っています。

自分のこだわりより、
お客様ファーストでありたい。
その気持ちは、
屋号の付け方にも表れているかもしれません。

漢字ではなく平仮名にしたのも同じ理由です。
初めて見た方にも、
ひと目で「ひらつか」と読んでもらいたかった。
ただ、それだけのことです。

これからも、ともに

カトリック教会での葬儀はもちろん、
仏教式や
近年増加傾向にある無宗教式葬儀など、
どんなお葬式でも、
基本的に最初から最後まで
平塚篤史がお手伝いさせていただきます。

事前相談から葬儀の打合せ、
現場の仕切り、葬儀後のアドバイスまで。
全てをご家族とともに、伴走いたします。

それだけは26年間、変えていません。
ひらつか葬祭でも、それは変わりません。

25年超の経験と、
とどまることなく変化していく時代の流れ。
そして変わることのない人の気持ちを大切に。

その全てをもって、
お客様のお別れをサポートいたします。

大切な人とのお別れに、
後悔があってはいけません。

ご家族のことだけでなく、
ご自身のことでも、どうぞ何でも聞いてください。
不安なまま、一人で抱え込まないでください。

いつでも、お気軽にご相談ください。

           ひらつか葬祭 代表 平塚 篤史

 P.S.
 まだ話していないことが、山ほどあります。
 続きは、いつかまた!

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