ひらつか物語 Part4「近くにいる人の大切さ」のアイキャッチ画像。若い頃の上京、家族や周囲の人とのつながり、カトリック教会とのご縁をイメージしたデザイン。
📖 ひらつか物語 Part4

☕ 約6分ほどの物語です。よろしければ、ゆったりしたお時間にどうぞ。

近くにいる人を、
当たり前と思わず。
当たり前と思わないことは、
有り難いこと。

有り難いことには、感謝を。
感謝を、言葉にして伝え。
言葉を、行動に移して。

その行動を、
一件一件のお葬式に届けたい。

この話、もっと話したい

代表プロフィール用に書いたブログで、
自分がなぜ葬儀屋になったのか
という話を書きました。

ハローワークで出会った
一枚の求人票のこと。

26年間、
老舗葬儀社の現場に
立ち続けたこと。

カトリック高輪教会・田園調布教会との出会い。
そして2025年2月の独立。

最後にこう書きました。
「――この話、もっと話したい」。

今日はその続きです。
でも今回は、自分の話というより、
自分の近くにいてくれた人たちの話を
したいと思います。
振り返ってみると、
自分ひとりで進んできたことなんて、
何ひとつありませんでした。

東松山の伯父の家

19歳、進路も決まらないまま、
楽器(エレキベース)をひとつ担いで
東京に出てきました。

何かしたい気持ちと同時に、
何かしなくてはならないという
焦りもありました。

けれど、
何をすればいいのかは
全然わかっていなかった。

当時は未成年で、
親の保証がないと
一人暮らしすらできませんでした。

そこで頼ったのが、
埼玉県東松山市に住んでいた
伯父(母のすぐ上の兄)です。

何のあてもない甥を、
当たり前のように
居候させてくれました。

なぜ自分の親を頼らなかったのか、
と思う方もいるかもしれません。

高校時代は素行も悪く、
遅刻、欠席、早退、サボり……
周りにも迷惑ばかり
かけていました。

両親だけでなく、
担任の先生をはじめ
多くの学校関係者にも、
迷惑をかけていたはずです。

気づいていないだけで、
本当はもっと多くの人に
迷惑をかけていたんだと思います。

「不良」と呼ばれる条件には、
ほぼ100%
当てはまっていたと思います。

同級生たちが、
それぞれの夢や進路に
向かって突き進んでいくなか、

自分だけ、
何もしない。
いや、何もできない。

そんな自分を、
心のどこかで
卑下していたのかもしれません。

上京することも、
自分で突然決めたことでした。

両親が反対しようと、
関係ないと言わんばかりの
態度だったと思います。

送り出されたというより、
飛び出してきた。
そんな有り様でした。

自分の親に相談しなかった、
いや、できなかった理由は、
もう、お察しの通りです。

東松山から都心へ出て、
ハローワークの求人票を眺める日々。

今思えば、
東松山の伯父の家に
置いてもらえていなかったら、
そもそも仕事を探す土台にすら
立てていなかったと思います。

伯父の家から東松山駅までは、
歩ける距離ではありませんでした。

伯母(伯父の妻)が、
毎朝車で駅まで
送ってくれていました。

五反田(東京都品川区)で9時出社となると、
朝6時30分過ぎには
電車に乗らなければなりません。

冬場はまだ暗いなか、
それでも毎朝、
送り出してくれました。

伯父も伯母も、数年前に他界しました。当時は当たり前のように受け取っていた居候先も、毎朝の送迎も、今思えば決して当たり前のことではなかったと、あらためて感じています。

高輪教会信徒の方々のこと

カトリック高輪教会との関わりも、
自分から売り込んで
始まったものではありません。

教会信徒の方々が、
安定して依頼できる葬儀社を
探してくれたことがきっかけでした。

当時、自分が四半世紀勤めていた
五反田の島田屋本店に
声をかけてくれたのです。

それが自分が葬儀屋として
カトリック教会と関わり始めた、
最初の一歩でした。

その後、田園調布教会、
そして今は浅草教会からも
声をかけていただいています。

気がつけば、
教会の中で自分のことを
知らないはずの方まで
「平塚さんですよね」
と声をかけてくださるように
なっていました。

名前だけが先に
広まっていく、あの不思議な感覚。

でもそれは、教会の方々が
気にかけてくださり、
次の方へとつないでくださったという、
積み重ねの結果でしかありません。

きっかけをくれた方々も、今はもう後期高齢者になられました。声をかけてくださったこと、それが今につながっています。その恩を、どう返していけばいいのか、正直まだわかりません。

屋号を決めた夜

2025年2月、
25年以上お世話になった会社を離れ、
独立を決めたとき。

屋号をどうするかは、
実はそんなに悩みませんでした。

「ひらつか式典」でも
「セレモニーひらつか」でも
よかったのですが、

最終的に選んだのは、
何のひねりもない
「ひらつか葬祭」。

しかも、漢字の「平塚」ではなく、
ひらがなの「ひらつか」にしました。

パッと見て、
初めての方にも
すぐそれとわかるように。

この相談に付き合ってくれたのが、
妻です。

分かりやすさを優先したい
自分の気持ちに加えて、

妻が言うには、
画数的にも「ひらつか葬祭」が
良いんだとか。

そんな話を家で交わしながら、
今の屋号に落ち着きました。

独立というと、
ひとりで決断したことのように
聞こえるかもしれません。

でも実際は、
隣で一緒に考えてくれる人がいたから
決められたことでした。

今でも、屋号を書くたびに、あの夜のやり取りをふと思い出す。後押ししてくれたのは、隣にいた妻。あまりに気に入っているせいか、署名のときも、つい「ひらつか」と書いてしまう。何気ない毎日の中の、当たり前のようでいて、かけがえのない瞬間だったんだと思う。

近くにいる人の大切さ

伯父の家に居候させてもらえたこと。

教会信徒の方々から
声をかけてくださったこと。

妻が隣で屋号を
一緒に考えてくれたこと。

ここに書いたのは、
ほんの一部です。

書ききれないくらい、
たくさんの人に
支えられてきました。

そのことを、
毎日でも思い出していたい。

どれも、
自分ひとりの力では
起こらなかったことです。

これからも、その恩返しのつもりで、
一件一件のお葬式に
向き合っていきたいと思います。

近くにいる人を、
当たり前と思わず。
当たり前と思わないことは、
有り難いこと。

有り難いことには、感謝を。
感謝を、言葉にして伝え。
言葉を、行動に移して。

その行動を、
一件一件のお葬式に届けたい。

届けているつもりで、
気づけば、自分もまた、
何かを受け取っている
のかもしれません。

本当に、近くにいてくれる人には
恵まれてきたと思います。
最後までお読みいただき
誠にありがとうございました。

ひらつか葬祭 代表
平塚篤史

ひらつか葬祭|東京城南エリア(品川・港・目黒・大田・世田谷)対応
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